西武線のホームで
行き交う人々を眺めながら
コーヒーのプルタブに爪をかける
流れる 人
ふと目を上げると
電光掲示板に流れる 文字
文字を眺めていると
あたかもゲシュタルト崩壊するように
文字が分解していく
発行するLED
その点滅の総体が 文字となり 流れていく
右から左へと
あぁ これは
人の生き死にと 同じなんだと
ふと 思いつく
人は生まれて 数十年で死に至る
生きているか死んでいるか
それだけを単純に見ていくと
人の生き死には デジタルだ
生きている そして 死んでいる
その総体を眺めると
それは人の歴史になり
人の営みになる
その中の ただ一つの光点
それは 自分であり あなたであり
目の前を通り過ぎていく 誰かなのだ
LEDが光って そして消えるまでの瞬くほどのひととき
その刹那に 人生を詰め込み
人間の歴史は営まれていく
愚かな事過ちを犯す人生
人に尽くし 果てていく人生
生まれてすぐに死ぬ人生
百年以上生きる人生
長く光ろうとする人生
自ら光を消してしまう人生
そのすべての 儚い夢と 幸福と 絶望と
人生という一生懸命さをも
デジタルに換えて
人は 尽きることのない時の波に流されていく
一つの明かりが消えても
それは大したことではない
光り そして消えるからこそ
営みは形を作り
賢く そして時に愚かな 人という歴史を刻んでいく
全てのLEDが点いたままだったのなら
なにも形作らず
ただ そこにあるだけの 光る板になってしまう
自分を その一瞬の光にゆだねつつ
その光りの一瞬であるがゆえの素晴らしき意味に
いとおしさを感じることができれば
きっとそれを
自分自身が生きていくという
希望にすることが出来るだろう
自分が生まれて そして死ぬということ
それが無数の光点の一つに埋もれようとも
その一つ一つが 愛し 傷つけあって生きてきたことに
これからも気がつけるように 忘れないように
生きていきたい
そんな思考を コーヒーと共に飲み干す
木曜日の夕暮れ