今日はお話をする前にこの絵をご覧頂きたい
水辺に佇む男女 あるいは恋人かもしれない
しかし 不自然にのびた木の枝は
もう一つの形を作り出している
胎児 発生したままの 無垢な姿
そこには 蛇にそそのかされた原罪も
汚れきった社会もない
クラゲのように 羊水の中を漂うだけだ
人間は 同時に二つのものを認識することは出来ない
胎児をみているときは 佇む男女を認識できず
佇む男女を認識しているときは 胎児を認識できない
ルビンの壷や老婆と婦人のだまし絵とおなじで
誰もが知っているような原理だ
ある人は 同時に両方を認識できると言うかもしれない
でもそれは 両方の認識を交流電流のように
高速で入れ替えているに過ぎないと僕は思う
人は 選ばなければならないものがある
人生において 佇む男女が必要なときは
佇む男女の絵だと思わなければならないし
漂う胎児が必要ならば
漂う胎児の絵だと思わなければならない
この絵に限っては 両方に見える絵だということは出来るかもしれない
しかしながら その両方に平等に 意識を割り振ることは
永遠に出来ない
残酷なものだ
たとえどちらかを選ぶのだとしても
その答えは永遠に正しいし 永遠に間違っている
僕は正しく そして間違い続けている
後悔だけは したくない
その一つだけを 選んだことを
そうやって 一つ一つ間違えながら
間違えたことを否定しないだけの優しさにつつまれて
今日もこうやって 生き続けていく